11月に入って全くこのページに来ていなかった。
友人と顔を合わせれば二言目にはゼミ、ゼミ…
教採の勉強もしなきゃいけないけど、両立できそうにないので、
腹を決めてゼミの勉強に集中すると決めた。
自分なりに結構頑張ってまとめたつもりだけど、
あっさりと「卒論にならない」なんて言われちゃうと凹みます。
でもそれが現実。
また一から考え直しだ。
ゼミの勉強が一段落ついたら、今度は教採の勉強にシフトチェンジ。
のんびりしてられない。
来年の7月まであとどんだけよ。
またあれか、漠然とした焦燥感ってやつか。
でもクリスマスは楽しんでやる。
最近小説を読んでないことに気付いた。
読むのは専ら専門書ばかり。
一応読んではいるから、読書の秋であるには違いないのだが。
塾の生徒に小説を読むことを勧めたが、実際自分自身とても読みたい。
時間は作ればあるはず。作ろうとしないだけなんだよね。
先日、ローカルニュースの特集で、リサイクルゴミが取り上げられていた。
リサイクルゴミはただ分別して出せばリサイクルされるわけではない。
集積所に集められたゴミは、
ベルトコンベアに乗せられ、
人の手作業によって、
本当にリサイクルできるゴミかどうか点検されるらしい。
なぜそんなことをするのか。
どうやら食べ残しだとか付着物が残っている時点で、リサイクルゴミは
「リサイクルできないただのゴミ」になってしまうようだ。
だからその手作業は、「ただのゴミ」を選別するためのもの。
大変だなぁなんて思っていた時、
ブラウン管に映ったのはネバネバが残っている納豆のパック。
思わずハッとした。
なんか無性に恥ずかしくなった。
翌日の朝食後、僕は食器と一緒に納豆のパックもきれいに洗った。
大学で学ぶということは甘くない。
自分が書かなければいけないのは、論文。
レポートでもなければ、もちろん感想文なんかでもない。
研究を論文として発表するのだ。
何を題材とするのか。
どんな視点から切り込んでいくのか。
卒業後の進路がどんなかたちであれ、この論文は
自分のバックボーンとなるのは確か。
妥協はしたくない。
昨日で終わった二日間の観察実習。
たった二日間だったが、そこで学んだことは多々あった。
学んだことを羅列してみる。
単なるブレインストーミングに過ぎない。
単なるメモ帳に過ぎない。
教える内容の選別。
メインテーマの精査。
何を削るか。
どのように削るか。
どんな視点でテーマを取り扱うか。
あらゆる角度から物事を見ることのできるような視点の柔軟性。
刻々と変わり行く時事問題への敏感さ。
教える側としての知識。
自分が伝えようとしていることを的確に伝えられるような話術。
律令国家は中央政府の強化のために蝦夷や早とにまで支配領域を広げ、
明治政府は琉球に沖縄県を設置した。
これは日本の領土が拡大した一例にすぎない。
そして、この記述は支配権を握る中央からみた歴史だろう。
被支配者の側から見れば、これは支配領域の拡大ではなく、
ただの「侵略」と言える。
先日話題にした歴史教科書。
そこに書かれている歴史は常にある一つの視点から描かれている。
それは支配者側の視点かもしれないし、それ以外かもしれない。
ただ一つ言えるのは、その記述がなされることで他の視点から見た歴史は
見えなくなってしまう、ということだ。
自分が好きな歴史をとりあげてみたが、これはなにも歴史に限ったことじゃない。
視点の転換。
パラダイム転換。
コペルニクス的転回。
ちょっと視点をずらすことで、思わぬものに出会えるかもしれない。
コペルニクスもきっとそうだったのだろう。
でも意外と難しい。
何気なく日常を送っていると、視点をずらすということに対して鈍くなってしまう。
柔軟に視点を変えて物事を見れる人って賢いと思う。
カラダも硬いけど、せめて思考は柔らかくなりたいものだ。
今更の話だが、日本では総理大臣が突然の辞意を表明し、次の総理が選出されるまでに若干の日数を要した。
世間では有力候補は誰かでもちきりになり、前首相への糾弾が始まった。
一連の出来事は、どれほどの日本人に「非常事態」という意識をもたらしただろうか。そしてどれほどの日本人が「テレビの中の茶番」としてとらえただろうか。
先日、とある講義のなかの一言がひっかかった。
「首相が突然いなくなったのに、我々の日常は昨日までとなんら変わりなく流れていた。」
たぶん僕も一種の茶番としてあの出来事を見ていた。だから僕の日常も全く変わることはなかった。
一国の政治に大きなことが起きても国民の生活はなんら変わらない。
それだけ日本は平和だということか。
それとも、それだけ国民と政治が乖離してしまっているということか。
今週は塾の生徒の要望もあって、月曜から金曜まで毎日バイトがある。
ランニングにも行かなければならない。
このブログで自分の思考を整理しなければならない。
卒業に向けての勉強をしなければならない。
将来に向けての勉強もしなければならない。
借りてきたLOSTのDVDも見なければならない。
つまりはやることだらけだ。
時間がない、と言って逃げていてはこれまでと変わりない。
時間はないのではない。作ればいくらでもできるんだ。